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長岡の楯
最上四十八楯の一つで、出羽合戦の頃には、畑谷の城主であった江口五兵衛光清が楯主だったとも伝えられる。大正4年(1915)、この地に佐倉の義民、木内宗吾の霊神を祀る霊場が開かれ、主郭跡には祠が建ち、いまでも「宗吾郎様」と呼ばれ、地元の崇敬を集めている。(みちのく悠々漂雲の記 参照)
最上四十八楯の一つで、出羽合戦の頃には、畑谷の城主であった江口五兵衛光清が楯主だったとも伝えられる。大正4年(1915)、この地に佐倉の義民、木内宗吾の霊神を祀る霊場が開かれ、主郭跡には祠が建ち、いまでも「宗吾郎様」と呼ばれ、地元の崇敬を集めている。(みちのく悠々漂雲の記 参照)